見世物「人生相談」

なぜ新聞に人生相談が掲載されるのでしょうか。
思うにそれは、たった一人の人間を悩みから救い出すためではなく、娯楽に飢えた大勢の読者に「悩める人」という格好の見世物を提供するためなのではないでしょうか。
昨日の朝日新聞に「今まで苦労らしい苦労をしてきてないけれど、そんなんでこれから先もし不幸なことでもあったときに耐えられるか心配です。今のうちにすすんで苦労した方がよいのでしょうか。」といった相談が取り上げられていました。室井祐月がかなり毒を含んだ厳しい回答をしていておもしろかったです。
僕は少しくらいの苦労ならしたことがあると思っていますが、今もう一度同じ苦労をしろと言われてもできない気がします。結局、苦労を経験して得るものは苦労に対する耐性などではなく、もう二度とこんな苦労をしたくないなというネガティブな感情だけなのではないでしょうか。
それに、すすんで苦労に飛び込んだとして、その苦労に終わりが来るという保証はどこにもありません。『ダメな人のための名言集』には次のような言葉が紹介されています。

私を見なさい。
無一文から身を起こして、独力で今の極端な貧乏にまでなった男だ。

終わりのない苦労の喜劇です。