反復だからといって退屈とは限らない

The Red Thread

The Red Thread

ネガティブは最大のポジティブだ。


岩波文庫『書物』で柴田宵曲が子規の文章の次の一節を引用してました。

人の住居をおとづれ候に明窓浄机はあれど座右に一冊の書籍だに置かぬ人あり。(中略)これらの人がこの何も読むものなき室内にありてたとへ一分時たりとも何として暮らすならんかと考ふる時は殆ど不思議に存じ候。(消息)


今は子規の時代に比べるとこんな心配する必要は全くなくなってしまったと言えるでしょう。しかし、僕はこんないらん心配をしてしまうことがたまにあります。野菜を食べない人を心配するのと同じ次元で。
この『書物』という本、「書物」というより「書物を愛する人」について様々な文献を通して語られていて、読んでて頬が緩みます。心当たりがあるのでなおさら。


このところ失敗の日々です。
大きな失敗(破産したとか、誤って開戦しちゃったとか)は自分だけでなく周りの温度まで低下させてしまうので、そこにちょっとした救いがある気がします。これに比べ小さな失敗、しかも恥ずかしい失敗(windowsを誤って消したり、トイレがつまったり、エタノール6リットルとイソプロピル6リットルを誤って混合したり)というのは周りの温度は低下させないだけに、その温度差がボディブローのように効いてきて、果てはKO(失踪とか?)に至るんではないかと恐ろしいです。しかし、恥ずかしさ窮まってのKOというのもまた果てしない温度差を生むだけのような気がして救われない気になるのです。