文学全集の何が悪いのか

今、文学全集なんて全くはやらない。どこに行っても百円で売ってあるし、なおかつずーっと売れ残っている。僕のバイト先でも文学全集だけ売りにきたお客さんがいてもまず値段はつけない。引き取ることすらしない。
絶版になっていて読めない作品が読めたり、今は新刊書店では見かけないような作家を読めたり、あるいは入門書としてよくできていたり、解説が充実していたり、きっといいとこだってたくさんあるのである。しかし今のひどい扱いを見ると、それを忘れさせるくらいの極悪さがあるのだろうという気になる。いったい文学全集の何が悪いのか。それはおそらく次のような点だ。
1.かさばる。
2.装丁がいまいち。
3.代表作ばかりが収録され面白み、魅力に欠ける。
これらを総合すると「家に置いておきたくない本」ということになろう。致命傷だ。


・読んだ
「読み終えて」「アクロバット前夜」福永信
  「読み終えて」の方はいまいち良さがわからなかった。おそらくこれは一行読んではページをめくり、また一行読んだらページをめくりという動作を繰り返さなくてはいけないこの本の作りに慣れず、必要以上に疲れてしまった、という原因があるかもしれない。話もそんなに面白くはなかったと思うが。しかし、「アクロバット前夜」ではその動きとスピード感のある文章が心地よくまとまった感がある。きっと少しは慣れたのだろう。また、唯一読者が信頼を置けるはずの語り手自身が、自分の存在を確信できていないようで、読者は放り出され活字の上で路頭に迷うことになる。そして、行を見失ってしまったが最後、栞はコンパスとしての役割を果たさず、ストーリーは脈絡を失う。本のなかで迷子になるというのも楽しい経験であった。


フェティシズムの現在」秋田昌美
  おそらく高橋鐵の仕事を八十年代の感覚でやってみたのであろう。

「虹の彼方に」高橋源一郎
  「さようならギャングたち」には悲しさがあったのに、この作品からは感情をどう汲み取ったらいいのかわからない。さっぱりつかみ所がない。


クッキーシーン55でフリッジの新作からの曲を聴く。前作「ハピネス」に強く感動した耳にはものすごく意外な音だった。