流しのステンレスの音

些細なことだが妙に気になるということはよくある。
本を読んでても主題とは全く関係のないことが頭に残り、肝心のことはすっかり忘れてしまうこともままある。
数年前後輩に三浦綾子「道ありき」を勧められて読んだことがある。内容は著者の自伝的な話でキリスト教を信仰するに至った経緯を描いたものだった気がするのだが、印象に残っているのはクリーニング屋の挿話のみである。
たしか、何だかひどい目にあった著者が「私は大きなクリーニング屋の社長と知合いなんだ」と心の中で密かに思って元気を出す、といった感じの内容だった。重要なのは何故かここで「道ありき」と「クリーニング屋」が僕の記憶の中でがっちりと結び付いてしまったことで、おかげで今でもクリーニング屋の前を通るたびに思い出してしまうのだ。これが著書の意図したことだとは到底思えないのである。


父親の話で強烈な印象を残しているものはそんなに多くはないのだが、一つインスタント焼きそばを作るときに必ず思い出す話がある。
それはテレビを見ているときだった。ある芸人が「熱いお湯を流しに捨てるときにステンレスが音を立てること」について話していたのだ。
それを聞いた父親はそのネタを手放しで褒めた。「リアリティがある」と。
ここで「父親が褒めたこと」と「ステンレスが立てる音」ががっちりと結び付いてしまった。今でもお湯を捨てるときにステンレスがボンと音を立てると間違いなく「あ、父親が手放しで褒めた音だ」と思ってしまうのである。